Vivienne Westwood

ヴィヴィアン・ウエストウッド氏のご逝去に寄せて

男も女もスタイルのある人に憧れる。どうしてあの人はいつもあんなに素敵なんだろう…それはきっと揺るぎないスタイルがあるから。連載「PEOPLE WITH STYLE(スタイルのある人)」第6回は2022年12月29日(木)に逝去されたファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドさんの功績を振り返る。


Written : LIVE IN RUGGED
Photo : VOGUE

約50年にわたりファッション業界の最前線で活躍

イギリスを代表するファッションデザイナー、Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)さんが12月29日(木)に逝去されていたことが報道された。享年81歳。〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉の公式ツイッターが「彼女は、南ロンドンのクラパムで家族に囲まれて安らかに息を引き取った」と発表した。
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ヴィヴィアン・ウエストウッドさんは約50年にわたりファッション業界の第一線で活躍。生涯現役をこれほど体現してきたデザイナーは世界的に見ても稀だろう。「パンクの女王」と呼ばれたアバンギャルドな生き様の最大の転機は、1967年当時、無政府主義政治団体に所属していたMalcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)との出会いだった。

お互いのクリエイティビティと反骨精神が共鳴し合い、1971年に伝説的なブティック「Let It Rock(レット・イット・ロック)」をキングスロード430番地にオープン。1950年代のロックンロールスタイルであるテディー・ボーイ風の洋服を取扱い、当時イギリスに住んでいたロック好きを魅了。しかし1972年には店名を「Too Fast to Live, Too Young to Die」に変更し、アメリカのアウトローなバイカー集団であるHells Angels(ヘルズ・エンジェルス)風のバイカーウェアを販売するようになる。その2年後の1974年には店名を「SEX(セックス)」という直球過ぎる名前に変更し、SMを彷彿させるセクシーで際どいファッションに方向を転換。さらに1976年には「Seditionaries(セディショナリーズ)」に店名を変更。この店名の由来は当時のThe Act of sedition (治安法)への反抗だったという。この時初めてオリジナルの洋服を製作し、誰もが一度は見たことがあるであろうパンクスピリットあふれるデザイン(例えばエリザベス女王の唇に安全ピンを刺したTシャツなど)が生まれた。

Vivienne Westwood
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Vivienne Westwood

反骨精神とあふれる才能でファッションの世界を塗り替えた

「セディショナリーズ」から伝説的パンクバンドSex Pistols(セックス・ピストルズ)が生まれたことはあまりに有名なエピソードなので割愛するが、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンが生み出したファッションとカルチャーが大きなムーブメントになり、今に続く大きな時代のひとつになったことは音楽好きやファッション好きの方にはご理解いただけるはず。
ファッションブランドとしての〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉は1981年に「パイレーツ」と名付けられた初のコレクションを発表。当時ヴィヴィアン・ウエストウッドがもっともインスピレーションを受けていた海賊のファッションをベースにした「パイレーツ」コレクションは、反社会性と前衛的なデザインを打ち出すことで大きな話題を呼んだという。
その後もイギリスの伝統的なツイード素材をパンクファッションに落とし込んだ「ハリスツイード」コレクションや、襟をハートに見立てたアイコニックな代表作「ラブジャケット」の発表など、年を追うごとに独自のスタイルを確立。今もファッション業界で便利な言葉として頻繁に飛び交うことが多い「世界観」をもっとも早く(そして強く)打ち出したブランドのひとつが〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉であると言っていいのではないだろうか。

Vivienne Westwood
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Vivienne Westwood

何も遠慮しないパンクな生き方を貫いた偉人

1990年代に入るとパンクという範疇を超えた深みを増していったことも興味深い。ロココ調とイギリスの伝統的な洋服作りを巧みにミックスさせたダークロマンティックなデザインは〈ヴィヴィアン・ウエストウッド〉というファッションブランドにより力強いふり幅を与えた。1993~94年秋冬コレクションでは、スーパーモデルのNaomi Campbell(ナオミ・キャンベル)が約22cmも高さのあるプラットフォームシューズを着用しランウェイに登場したところ、躓いて転倒。もちろん狙って起きたことではなくアクシデントだったが、もっとも記憶に残るランウェイモーメントとしてファッション業界では今も語られている。
近年のヴィヴィアン・ウエストウッドは政治や環境運動にも積極的に取り組んでいた。もっとも世間に衝撃を与えたのは装甲車に乗る姿ではないだろうか。2015年、イギリス政府の水圧破砕法によるシェールガス開発に異議を唱えるため、軍隊で使用される装甲人員輸送車に乗り込んだヴィヴィアン・ウエストウッドは、当時のイギリス首相ジェームズ・キャメロン宅に乗り込んで意義を唱えるという「これぞパンク!」な姿を披露。さらに2019年のロンドンファッションウィークでは、パプア熱帯雨林の環境破壊に対するエネルギー関連事業会社の責任を求める抗議活動をイギリスの環境保護活動グループとともに行った。いずれもパフォーマンスなどではなく、真剣に地球環境や人々のより良い生活と未来を考慮しての行動と言われているが、地位も立場もある世界的なファッションデザイナーがここまで大胆に政治・環境活動の矢面に立つ姿は、多くの人々に影響を与えただろう。
既成概念に捉われず、自分が良いと思うことを誰にも遠慮せずに表現する彼女の生き様は、多くの女性に勇気を与え続けてきた。実際ファッション業界を目指す女性たちの中には今もヴィヴィアン・ウエストウッドをもっとも尊敬するデザイナーとして挙げる人が多い(筆者の周りにもいる)。ヴィヴィアン・ウエストウッドが成し遂げてきたこと、切り拓いてきた道、与えた影響の強さは計り知れない。パンクという言葉で片づけるにはあまりにも語彙が貧弱だけれど、やっぱり生き方そのものがパンクな人だったのだ。
ちなみに先に述べた「セディショナリーズ」は後年「Worlds End(ワールズ・エンド)」という名前に変更し、今もイギリス・キングズロードの顔として存在し続けている。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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