CHROME HEARTS Then And Now

「変わってしまった」と言われるクロムハーツ、それでも大好きな理由

一代で世界的なラグジュアリーブランドへと成長した〈CHROME HEARTS〉の歴史を振り返りながら、「変わってしまった」部分とそれでも「変わらない」魅力を考察する


Written : LIVE IN RUGGED
Photo : CHROME HEARTS

始まりは、自分と仲間のために作ったバイカーウェアだった

過去30年間のファッション業界を振り返った時に〈CHROME HEARTS(クロムハーツ)〉ほどユニークな形で世界的な成功を収めたブランドはない。アイコニックなモチーフが彫金されたジュエリーや、一生愛用したくなる革製品、憧れの中の憧れである家具を筆頭としたホームコレクション…そのどれもが唯一無二の存在。〈クロムハーツ〉の真似をしたブランドは雨後の筍のように生まれたが、ほとんどがいつの間にか消えていった。
しかし、〈クロムハーツ〉は「変わってしまった」と嘆くファンも多い。バイカー的で男らしいデザインがメインだった時代が終わり、ユニセックスなアイテムが増えたことも要因のひとつだろう。本稿では「変わってしまった」〈クロムハーツ〉について考察していくが、まずは偉大なブランドの歴史を振り返ってみたい。
〈クロムハーツ〉は、創業者であるRichard Stark(リチャード・スターク)が自分自身と仲間が着るためのバイカーウェアを制作し始めたことから始まった。元々大工をしていたリチャード・スタークは、その後皮革製品を作るために必要となる上質なレザーを取り扱うビジネスを始め、その延長で趣味としてライダースジャケットやレザーパンツの制作をスタート。レザービジネスの相棒であるJohn Bowman(ジョン・バウマン)、銀職人のLeonard Kamhout(レナード・カムホート)をパートナーに、1988年にブランドを設立している。
彼らが作る分厚いレザーにスターリングシルバーの装飾を施したバイカーウェアやレザーグッズは間もなくハリウッドの著名人たち(SEX PISTOLSのSteve Jones(スティーブ・ジョーンズ)やCher(シェール)らが最初の顧客だった)の間で話題となり、ウェアに施されていたシルバー製のパーツが“副産物”としてジュエリー単体になったことで、アメリカ西海岸の目利きたちにも徐々に評判が広がる。ロサンゼルスの伝説的なセレクトショップ「Maxfield(マックスフィールド)」での取り扱いのスタート(リチャード自らがバイクに乗ってベルトなどを同ショップのオーナーであるトミー・パースに持ち込み、すぐに取り扱いが決まった)も、ブランド設立からさほど時間が経っていない頃だったと記憶している。そして、1992年にはアメリカの「CFDAファッションアワード」アクセサリー部門最優秀賞を受賞。一躍ファッション業界において最注目のブランドへと躍進した。

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創業者のリチャード・スターク(左)と、妻のローリー・リン・スターク。ブランド設立初期に撮影された貴重なショット。
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巨大なクロスのオブジェを前に。もちろんレオパード柄のチェアとクッション、バービー人形も〈クロムハーツ〉製。

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もっとも〈クロムハーツ〉らしさを感じるアイテムでもあるベルト。立体的で精緻な彫刻はアート作品のよう。
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〈クロムハーツ〉には様々なデザインのベルトがラインナップ。ウエストに他にはない存在感を与えてくれる。

90年代に日本でも爆発的な〈クロムハーツ〉ブームが到来

以上がブランド設立初期のアメリカにおける〈クロムハーツ〉のざっとした歴史だ。それでは、同じ時期の日本ではどんな扱いだったのだろうか?
まだ男性がファッションジュエリーを身に着ける文化がまったくと言っていいほどなかった1990年に、岩手県盛岡市にあるセレクトショップ「GALF Intellectual Gallery(ガルフ インテレクチュアルギャラリー)」が同ブランドの取り扱いを開始。首都圏から遠く離れた岩手県という場所ながら、商品ラインナップはアメリカ本国のニューヨーク店に次ぐ世界第2位という「ガルフ インテレクチュアルギャラリー」は、当時「クロムハーツの聖地」と呼ばれ、著名な芸能人も足繫く通っていたという。
そして1991年には〈COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)〉が青山店で〈クロムハーツ〉のライダースジャケットの取り扱いを期間限定でスタート。同年、その少し前に〈COMME des GARÇONS Homme Plus(コム デ ギャルソン・オム プリュス)〉の1991年春夏コレクションのショーにリチャードが出演するという、今では考えられない出来事が起きてからの取り扱いだった。ショーへの出演を振り返り、リチャードは次のように当時のことを回想している。
「最高に興奮した。嬉しかった。確か1991年のことだったと思うが、俺はパリのショーにも出演したんだよ。感謝の意味を込めて、彼らのシャツのボタンを外して、〈クロムハーツ〉のボタンを付けた。そして、COMME des GARCONSのタグを、CHROME des GARCONSに書き換えてやったんだ」。
川久保玲には他の誰よりも先見の明があることを証明するようなエピソードだ。その後、90年代中期~後半にかけて、日本では空前のシルバーアクセサリーブームが到来。主にアメリカ西海岸のブランドが爆発的にブレイクし、〈クロムハーツ〉はその頂点に君臨していた。いわゆる“バイカー系”を代表するブランドであり、それでいながらひとつ上のクラス感も併せ持つ稀有な存在として、当時の若者たちから崇拝されるようになる。
1997年には「UNITED ARROWS(ユナイテッドアローズ)」原宿本店前に〈クロムハーツ〉の日本国内初のショップとして「UTICA(ユティカ)」がオープン。1999年には「ユナイテッドアローズ」が日本での正規代理店として事業を展開し、コアなファン層以外への認知度拡大と飛躍的な売り上げ向上に貢献。同年、南青山に「CHROME HEARTS TOKYO(クロムハーツ東京)」がオープンし、先に述べた原宿の「UTICA」は2001年に「CHROME HEARTS HARAJUKU(クロムハーツ原宿)」へとリニューアルしたほか、「CHROME HEARTS OSAKA(クロムハーツ大阪)」も間もなくオープン。黒檀を贅沢に使い、金属部分をスターリングシルバーで制作した什器や家具が鎮座する独特の世界観を展開し、ますますカリスマ性を高めていく。

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〈WESCO〉のブーツをフルカスタムしたオールドモデル。金属パーツをすべてシルバーに置き換えるというDIY精神は、まさに〈クロムハーツ〉のアイデンティティだ。
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〈クロムハーツ〉の製品は現在でもロサンゼルスのファクトリーにて熟練した職人たちがひとつひとつを手作業で制作する。

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無数のクロスパッチで装飾・補強したレザーパンツ。オールドファン垂涎の逸品。
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こちらも〈WESCO〉のカスタムモデル。ヒール付近のチェーンはウエスタンスタイルからヒントを得ている。

ファミリービジネスの割合が増えることで変わってしまった〈クロムハーツ〉

2000年代に入るとさらに著名人の顧客リストが増え、有力ファッション誌やメディアにも数多く取り上げられたことで世界的に人気が加速。さらにヨーロッパの一流メゾンとのコラボレーションなども果たし、ラグジュアリー化が進む。〈クロムハーツ〉はファミリービジネスで成り立っているが、リチャードの妻であるLaurie Lynn Stark(ローリー・リン・スターク)や長女のJesse Jo Stark(ジェシー・ジョー・スターク)がデザイン・ディレクション業務にも加わることで、よりファッション的な側面が強くなっていった。ジェシー・ジョー・スタークは雑誌のインタビューで「父(リチャード)は何も変えたくないタイプ。母(ローリー)は新しいものが大好き。私はその中間」と語っている。90年代までの〈クロムハーツ〉がリチャード・スタークの世界観だったとすれば、2000年代以降は妻と娘の価値観もミックスした時代になったと言ってもいいだろう。そして、オールドファンはそこに拒否反応を示すことが多い。
家族がデザイン業務に加わる前は、〈クロムハーツ〉は黒一色の硬派な世界だった。発売されるアイテムもロック的なボリューム感のあるクラシカルなアイテムが多く、その媚びない世界観こそが〈クロムハーツ〉の最大の魅力であったことは間違いない。昔からのファンは今でも20年以上前に発表されたデザインのアイテムしか買わないという人も多いだろう。私自身も「買いたい」と思うもののほとんどが昔ながらのデザインだったりする。この「過去と現在の違い」が〈クロムハーツ〉には確かに存在する。

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リチャード・スタークと長女のジェシー・ジョー・スターク。
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リチャードが「究極の自由を感じる」というバイクに乗る生活。反骨精神こそが〈クロムハーツ〉の原点だった。

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「変わってしまった」と嘆くよりも、「変わらない部分」に目を向けて愛し続けたいブランド

「変わってしまった」と言うとネガティブな印象が強いが、ブランドとして成長していくことを考えれば変わっていくのが当たり前であることも事実だ。もし〈クロムハーツ〉がリチャード・スタークだけが良しとする世界観を頑なに維持し続けていたら、現在の世界的な成功は決して得られなかったのではないだろうか。バイク&ロックの反骨精神が原点で、それは同ブランドの核となる大切なフィロソフィーであるとはいえ、それだけを武器に世界と戦うことは難しい。より自由に、より良いものを作り続けていくという考えを大切にするのであれば、才能のある家族が良いと思うものも積極的に採り入れていくべきだ…リチャードはそう考えたのかもしれない。90年代の〈クロムハーツ〉にはバイカー系アクセサリーブランドというイメージが強かった。現在の〈クロムハーツ〉にバイカーブランドというイメージを持っている人は、かつてより圧倒的に少ない。それは私たちエンドユーザーにとっても好ましいことでもある。もし「まったく変わらずにいてほしい、〈クロムハーツ〉にはラグジュアリーもユニセックスもまったく必要ない」と思うのであれば、それはただのわがままではないか。
〈クロムハーツ〉には、ヨーロッパのコングロマリット(ラグジュアリーメゾンを擁する巨大企業)からの大規模な買収オファーがあったという。それはブランドを運営するスタークファミリーにとって、少なくとも金銭的には魅力的な話だったはずだ。それを拒否したのは、このブランドが100年単位で続くファミリービジネスであることを優先したから。コングロマリットの一部になれば生産拠点がアメリカ以外のコストが安い国に分散され、クリエイション面も「より売れやすいもの」を求められる可能性が高い。それは誰にとってもまったく嬉しくないことだ。「変わってしまった」と嘆かれることがあるとはいえ、〈クロムハーツ〉は現在でもロサンゼルスの自社ファクトリーでほぼすべての製品を制作している。ジュエリー、革製品、その他あらゆるものを自分の会社に所属する熟練した職人たちが手作業を介して作り続けているのだ。これだけでも〈クロムハーツ〉が世界的に稀有なブランドであることの証明と言えるだろう。
万人受けしないデザインであるにも関わらず、たった一代で世界的なブランドへと成長した〈クロムハーツ〉は、まさに奇跡のような存在。まったく変わらないものはこの世に存在しないのだから、「変わってしまった」と嘆くよりも、今も変わっていない部分、そして新しい側面も偏見を持たずに接し、これからも愛していきたい。ファンにとって〈クロムハーツ〉のない世界なんて考えられないのだから。そのうえで、自分が心の底から好きだと思えるものを少しずつでも手に入れていけばいいのではないだろうか。もっとも、人気が高すぎて直営店でも常に品薄状態であることと、毎年行われる大幅な値上げ戦略に複雑な気持ちになることもあるけれど…。
私たちが生きている時代に、いずれリチャード・スタークは引退する。その後は彼の子供たちが引き継ぎ、これからも魅力的なアイテムを生み出し続けていくはずだ。どんな成長を遂げていくにしても、アイテムには〈クロムハーツ〉の反骨精神を象徴する「FUCK YOU」のメッセージが刻まれているに違いない。
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